1973-06-14 第71回国会 衆議院 決算委員会 第16号
敬称を略しまして、理事長は岩沢忠恭、参議院議員でございました。この方は御承知のように建設省事務次官をしておりました。理事として、愛知揆一、これは当時、前の銀行局長として参議院に入っておったかどうか、ちょっとそこははっきりしませんが、現在の大蔵大臣愛知揆一さんです。中村重喜、これは大和建設の取締役副社長でございます。松前重義、これは元逓信院総裁で、ついせんだってまで衆議院議員をしておられた方です。
敬称を略しまして、理事長は岩沢忠恭、参議院議員でございました。この方は御承知のように建設省事務次官をしておりました。理事として、愛知揆一、これは当時、前の銀行局長として参議院に入っておったかどうか、ちょっとそこははっきりしませんが、現在の大蔵大臣愛知揆一さんです。中村重喜、これは大和建設の取締役副社長でございます。松前重義、これは元逓信院総裁で、ついせんだってまで衆議院議員をしておられた方です。
この場合、協会設立の理事長は岩沢忠恭さん、当時参議院議員、元建設省事務次官であります。ときに愛知現大蔵大臣は理事に就任された。そこで第一審判決の中に、原告の設立の目的、役員の選定等すべて当時の大蔵省及び建設省首脳部によって慎重に企画選定せられたものであります。きわめて明確であります。設立当時の役員、その時点におきますところの現職または前歴についてお示しいただきたい。
○大津留政府委員 設立時の役員の現職または前歴でございますが、理事長の岩沢忠恭さんは、いまお示しのように、元建設省事務次官で、当時は参議院議員でございます。理事の愛知揆一先生は、当時参議院議員。中村重喜さんは大和建設株式会社の副社長です。それから、松前重義さん、これは元逓信院総裁でございます。小林秀彌さん、元経済安定本部建築課長。理事の山沢真龍さん、前建設大臣秘書官。
すなわち、昭和四十年度分につきましては、故議員岩沢忠恭君の遺族に、昭和四十一年度分につきましては、故議員草葉隆圓君及び松本治一郎君の遺族に対する弔慰金でございます。 以上は、いずれも、そのつど議院運営委員会の承認を経て支出いたしたものでありますが、ここに国会予備金に関する法律第三条の規定によりまして、本院の承諾をお願いする次第でございます。(拍手)
記 録 部 長 佐藤 忠雄君 記録部副部長 福地 和正君 警 務 部 長 二見 次夫君 庶 務 部 長 若江 幾造君 管 理 部 長 佐藤 吉弘君 渉 外 部 長 荒木外喜三君 法制局側 法 制 局 長 今枝 常男君 ————————————— 本日の会議に付した案件 ○議員岩沢忠恭君逝去
○事務総長(宮坂完孝君) 本院議員岩沢忠恭君は、去る八日午後九時十五分、慶応病院において、じん炎のため逝去されました。まことに哀悼の至りにたえません。つつしんで御報告を申し上げます。
〔総員起立〕 参議院は議員従三位勲二等岩沢忠恭君の長逝に対しましてつつしんで哀悼の意を表しうやうやしく弔詞をささげます。 ————————————— 弔詞の贈呈方は、議長において取り計らいます。 —————・—————
昭和四十年十二月十三日(月曜日) 午後七時三十二分開議 ━━━━━━━━━━━━━ ○議事日程 第十六号 昭和四十年十二月十三日 午前十時開議 第一 裁判官弾劾裁判所裁判員辞任の件 第二 商品取引所審議会会長及び同委員の任命 に関する件 第三 電波監理審議会委員の任命に関する件 ━━━━━━━━━━━━━ ○本日の会議に付した案件 一、故議員岩沢忠恭君に対
岩沢忠恭君に対し、院議をもって弔詞を贈呈することとし、その弔詞は議長に一任せられたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
水曜日) 午前十一時三十七分開会 ————————————— 委員氏名 委員長 和泉 覚君 理 事 木島 義夫君 理 事 松野 孝一君 理 事 稲葉 誠一君 理 事 山田 徹一君 石井 桂君 岩沢 忠恭
昭和四十年八月十日(火曜日) 午前十一時七分開会 ————————————— 委員の異動 八月九日 辞任 補欠選任 岩沢 忠恭君 内田 俊朗君 ————————————— 出席者は左のとおり。
昨九日、岩沢忠恭君が委員を辞任され、その補欠として内田俊朗君が選任されました。 —————————————
昭和四十年八月十日(火曜日) 午前十時三十七分開会 ————————————— 委員の異動 八月九日 辞任 補欠選任 内田 俊朗君 岩沢 忠恭君 園田 清充君 上原 正吉君 ————————————— 出席者は左のとおり。
昭和四十年八月三日(火曜日) 午後一時二十八分開会 ————————————— 委員氏名 委員長 中村 順造君 理 事 稲浦 鹿藏君 理 事 熊谷太三郎君 理 事 瀬谷 英行君 岩沢 忠恭君 小山邦太郎君
昭和四十年七月二十八日(水曜日) 午後二時十九分開会 ————————————— 委員の異動 七月二十八日 辞任 補欠選任 中上川アキ君 川野 三暁君 近藤 鶴代君 山崎 斉君 岩沢 忠恭君 源田 実君 丸茂 重貞君 二木 謙吾君 野々山一三君 吉田忠三郎君
(木曜日) 午前十一時十二分開会 ————————————— 委員氏名 委員長 田中 茂穂君 理 事 亀井 光君 理 事 山本 利壽君 理 事 大矢 正君 理 事 柳岡 秋夫君 理 事 渋谷 邦彦君 岩沢 忠恭
六月一日 辞任 補欠選任 山本 杉君 林田 正治君 北畠 教真君 木島 義夫君 鈴木 一司君 中上川アキ君 徳永 正利君 近藤 鶴代君 鳥畠徳次郎君 高橋文五郎君 温水 三郎君 堀本 宜実君 野上 進君 岸田 幸雄君 田中 清一君 岩沢 忠恭
昭和四十年三月十八日(木曜日) 午前十時二十七分開会 ————————————— 委員の異動 三月十七日 辞任 補欠選任 加賀山之雄君 佐野 廣君 岩沢 忠恭君 日高 広為君 ————————————— 出席者は左のとおり。
昭和四十年三月十八日(木曜日) 午前十時三十八分開会 ――――――――――――― 委員の異動 三月十七日 辞任 補欠選任 日高 広為君 岩沢 忠恭君 村山 道雄君 上林 忠次君 川野 三暁君 木暮武太夫君 三月十八日 辞任 補欠選任 木暮武太夫君 川野 三暁君
去る十七日、日高広為君、村山道雄君及び川野三暁君が委員を辞任され、その補欠として岩沢忠恭君、上林忠次君及び木暮武太夫君が選任せられました。また本日、木暮武太夫君が委員を辞任され、その補欠として川野三暁君が選任せられました。 ―――――――――――――
昭和四十年三月十六日(火曜日) 午後一時四十分開会 ————————————— 委員の異動 三月十六日 辞任 補欠選任 岩沢 忠恭君 日高 広為君 上林 忠次君 村山 道雄君 ————————————— 出席者は左のとおり。
本日、岩沢忠恭君が委員を辞任され、その補欠として日高広為君が選任されました。 —————————————
昭和四十年三月十六日(火曜日) 午後一時三十五分開会 ————————————— 委員の異動 三月十六日 辞任 補欠選任 日高 広為君 岩沢 忠恭君 佐野 廣君 加賀山之雄君 ————————————— 出席者は左のとおり。
日高広為君及び佐野廣君が辞任され、その補欠として岩沢忠恭君及び加賀山之雄君が選任せられました。 ちょっと速記をとめて。 〔速記中止〕
(月曜日) 午前十時五十分開会 ————————————— 委員氏名 委員長 安田 敏雄君 理 事 石井 桂君 理 事 稲浦 鹿藏君 理 事 熊谷太三郎君 理 事 瀬谷 英行君 井野 碩哉君 岩沢 忠恭
昭和三十九年十一月九日(月曜日) 午後零時六分開会 ————————————— 委員氏名 委員長 安田 敏雄君 理 事 石井 桂君 理 事 稲浦 鹿藏君 理 事 瀬谷 英行君 岩沢 忠恭君 小沢久太郎君
昭和三十九年九月三十日(水曜日) 午前十時三十六分開会 ————————————— 委員の異動 八月十五日 辞任 補欠選任 高橋 衛君 岩沢 忠恭君 沢田 一精君 高橋進太郎君 九月七日 辞任 補欠選任 増原 恵吉君 田中 清一君 九月十七日 辞任 補欠選任 重政 庸徳君 徳永 正利君 九月十九日
去る八月十五日、高橋衛君、沢田一精君が委員を辞任せられ、その補欠として岩沢忠恭君、高橋進太郎君が選任せられました。 本月七日、増原恵吉君が委員を辞任せられ、その補欠として田中清一君が選任せられました。 また、十七日、重政庸徳君が委員を辞任せられ、その補欠として徳永正利君が選任せられました。 —————————————